今年の5月に発行された既刊、吉村正徳著「五島うどんの御力 - 日本最古説を追って」を取り上げてみたいと思います。
ポイントはこちら。
☑ 五島うどんにハマった方が、歴史やルーツ、また製法について書いた本です。
☑ 様々な著者による随想も収録された本です。
絶品のうどんとして名が挙がる「五島うどん」
うどんについて関心を持ちはじめたころにいろいろと調べて知ったのは、さまざまな種類のうどんと名がつく食べ物が地方ごとにあることでした。
それは例えば、コシがある讃岐うどんだったり、平たくてのど越しがたまらないと言われる稲庭うどんや、ゴマダレと共に独特の風味があり長い歴史が確認されている水沢うどんだったりします。
それらと並んで伝えられるものの一つに、すっきりとしていながら抜群の味わいがあるともいわれるアゴ出しの五島うどんがあります。
長崎・五島列島。
いや遠そうだなぁと思いつつ、それは遠"そう"ではなく本当に時間がかかる遠い場所。
うどんの聖地のような場所でありながら、なかなか踏み切れず、いつかは必ず行ってみたい地になっています。
そうして現地確認をサボって近くのうどんを食べ歩いていると、ときどき出会うのですよね。
五島うどんに。
それは東京では武蔵小金井「五島手延べうどん びぜん家」さんや武蔵小山「島うどん ねこでこ」さん、近畿では兵庫・姫路の「うどん屋 麦(バク)」さんだったりします。
ところで、私は手打うどんを作ったりする関係で、和食の知識では随分と本屋さんのお世話になっています。
ある日、いつものように本屋さんへ行くと、細く白い麺がしなやかにゆであがっている写真を表紙にした吉村正徳著「五島うどんの御力 - 日本最古説を追って」 長崎新聞社刊が目に留まりました。
岩坦索麺との類似を取材し伝えている
「五島うどんの御力 - 日本最古説を追って」 を開いてみます。
内容は大きく3つにわかれています。
1つ目は五島うどんの歴史と製法。
歴史については諸説が簡単に紹介されていて、また製法が紹介されることで五島うどんは何なのかがわかりやすく伝わってくるように思います。
中でも特筆すべきなのは、実際に訪ねて中国で伝わっている永嘉県の岩坦索面(索麺)を食し、製法を取材して伝えている点です。
2つ目は随想集。
さまざまな著者が五島うどんに触れて書いた文献が転載されており、五島うどんが人々にどのように伝えられてきたかの一端が伝えられています。
3つ目に現在の事業者のリスト。
五島うどんはおよそ何か、そして、どのように伝えられてきたかの一端を知ることができる本になっていると思いました。
さらなる興味1個目~ 岩坦索麺の記録
読んでみるとさらに興味が沸いてきます。
ひとつは岩坦索麺の歴史を遡る史料では、どのような記録になっているのか、ということ。
つまり岩坦索麺がいつのころから、どのようなレシピで、どのように盛り付けられた一皿として食べられてきたどのような書き方で記録されているのだろうか、という疑問です。
私は過去のブログでも紹介しているように、武蔵国と江戸国の資料を史料にうどんの歴史を追ってみました。
その際、史料は「うどん」「そば」「きしめん」といった単語が見られることをきっかけに追跡したわけですが、「うどん」と書かれたものが現在のうどんとどのように一致するものなのかは確認できず、さまざま断言できるだけの十分な記録を見つけることは大変難しいなと感じてきました。
これは岩坦索麺にも言えることで、現在の岩坦索麺がどのようなものであったとしても、例えば西暦600年代の遣唐使の前後で、過去の岩坦索麺が全く同一のものであったか、という点についてはさらなる関心が強く沸いてくるところです。
本を読んで自分の中に興味が沸いてくるのが楽しいですよね。
さらなる興味2個目~ 五島うどんの食べ方やレシピ
もうひとつの関心事は、五島うどんの食べ方やレシピについてです。
麺については小麦粉と塩水、打粉のレシピで、岩坦索麺と同等の製法だとしましょう。
ではつゆのレシピはどのようなものだったのか。
つゆは、食べるスタイルによってつけつゆやかけつゆなどレシピが変わります。
ですので、食べ方は遣唐使の頃に伝わって以降、どのようなレシピが伝えられ、現代の地獄炊きやかけうどんに変化してきたのか。
かけうどんは、もともと盛りそば・うどんが食べられており、江戸でぶっかけて食べるようになったなどともいわれますので古来同じものが継承され続けているとは考えにくく、まず食べ方がどうだったのかは大いに興味が沸くところです。
またつゆのレシピですが、現代ではどこかで醤油を使う例が多々見られます。
しかし1643(寛永20)年の「料理物語」では、つけつゆとして水、味噌、酒、鰹節を使ったレシピが紹介されており、醤油が五島うどんにも使われるほどであったのかはよくわかりません。
具体的には、例えば醤(ひしお)や溜(たまり)の後に1600年代以降に醤油が広く使われるようになったという話との整合性はどうなのか。
ここで少し脱線すると、鰹節についても、宮内泰介・藤林泰「かつお節と日本人」岩波新書1450によると、現在のものと同様の鰹節が作られるようになったのは17世紀ごろと考えられている説明がみられます。
五島うどんに話を戻すと、ではアゴ煮干しはいつから作られるようになったのか。
こうした細々とした興味をまとめると、つまりは、五島うどんはどのようなスタイルで食べられていたのか、その食べ方と、食べ方にあわせたレシピがどのようなものであったのか。
そうしたことに大いに興味が沸くところです。
本がもたらしてくれる楽しさ
先に述べたような興味に対する答えが明らかになると、なぜその地でそうしたものが食べられていたのか、腑に落ちる瞬間があるのではないかと思います。
さらなる史料が見つかると、さらに面白くなると思いませんか?
みなさんはどのように感じられるでしょうか。
ぜひ、みなさんも今回の一冊を手に取ってみて、様々を感じて楽しんでみてください。