東京 武蔵境の「大むら」さんで「武蔵野うどん」をいただきました。
肉つけ麺スタイルのうどんです! じゅるっ! ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
看板メニューは名物「からしうどん」。
5倍の辛さを超えたところに”ハバネロ暴から”が用意される、暴力的な雰囲気を感じる一品です。
もう一方には「独歩そば」と名付けられた石臼挽きの平和的な?そばも見られます。
今回は、そうした暴力と平和の狭間で安心感を放つ「武蔵野うどん」をいただいてみました。
そして、武蔵境がある武蔵野市付近のうどんの歴史を確かめてみます。
駅からやや歩くアクセス
東京・新宿からJR中央線で西へ25分程度、武蔵境駅で下車。
駅の南口を出て、天文台通りを西へ徒歩およそ10分弱のところにお店はあります。
駅からの交通の便では、駅南口からムーバス・境南西循環を利用し、「もみじ山公園」または「津田公園入口」で下車する方法もありますが、徒歩で十分便利だと思います。
新しさを感じる外観・内観
まず外観は打ちっぱなしのコンクリート壁と、オレンジ色ののぼりが目に入ってきます。
近づくと、灰色の壁には「手造りの店 大むら」と書かれた横長の木が掲げられてます。
そしてのぼりには「武蔵野地粉うどん」とあります。
こうした外観のうどん・そば屋さんはあまり見ないような気がしますので、新しさを感じますね。
ところで、「スニーカーヤマメの「ぶらり食べ歩き」」やお店のホームページによると、この場には、先代が食堂「ふさや」(昭和45~63年)を営業されており、現店主さんがかつてあった武蔵境駅の北口本店、水車の回る店「大むら」さんで修行の後、暖簾わけでお店を出され、2008年に全面改装をされたようです。
武蔵境の味を脈々と受け継ぐ一店と言ってよいのではないでしょうか。
ところで、お店さんのブログをみてみますと、農家さんとの繋がりや、学校での手打ちうどん教室の記事が目に留まります。
「からしうどん」のような奇抜なメニューが目立つ面とは別に、看板に掲げられているような手造りの食文化を大切にされているお店さんのようです。
では、暖簾をくぐってみます。
1階へ通されると8人掛けの大テーブルカウンターに目が留まります。
1人でも利用しやすい印象で、1枚板なのか木の板の前に着席するとぬくもりを感じるものですね。
小麦の味がある武蔵野うどんをいただく
「武蔵野うどん」をオーダーすること、10分強。
一皿の登場です。
麺はやや細く、平たくなっており、幅はややムラが見られるので手打ち感があります。
そして麺はややくすんだ色で、全粒粉をブレンドされているため、ふすまの斑点が見えます。
頬張ると、口あたりはナチュラルな滑らかで、柔らかいものとなっています。
麺だけでいただくといくらか小麦の風味を感じられます。
食感の硬さや弾力の具合からはやや低アミロースな印象を受けるので、小麦の品種は「さとのそら」でしょうか。
麺に小麦の風味が感じられ、武蔵野うどんらしさを感じることができますね!(๑˃̵ᴗ˂̵)و
では肉汁をいただいてみましょう。
薄切りの豚肉、 ネギなどの野菜類がみえます。
つけ汁は見るからに黒く、期待に応えるかのように、しっかりと醤油がきいています。
東京・武蔵野らしいしょうゆベースの印象ですね。
お肉が入った現代的に雰囲気の武蔵野うどんをいただくことができました。
ごちそうさまでした!٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
江戸時代に登場する武蔵野市周辺のうどん
●武蔵野市周辺では1700年代に「飯うんどん」やがあったと記録されている
さて、武蔵境付近では武蔵野うどんについてのどのような歴史があるのでしょうか?
武蔵野市の近世(江戸時代)の史料を確かめてみました。
このあたりで”うどん” が登場する最も古い史料を探すと、1766(明和3)年「梶野新田他新田農間渡世書上」に、境新田の斧右衛門が「飯うんどん農間渡世」であったと書かれていることが見つかりました(「小金井市誌 III 資料編」)。新発見?! ٩(ˊᗜˋ*)و
農間渡世とあるので、この斧右衛門は百姓で、農業のあいまに「飯うんどん」業を営んでいたようです。
そして、その場所が五日市街道に並走する玉川上水の梶野橋付近であったようです。
小金井市、武蔵野市在住の皆さん、身近に感じませんか?!
また1867(慶応3)年「農間渡世書上帳 武州多摩郡 吉祥寺村」には、百姓の吉右衛門が「酒・酢・醤油小賣」と「饂飩・蕎麦商」であったことが記録されています(「武蔵野市史 資料編」)。
上記の1700年の梶野新田の史料よりは、商いについて商品に踏み込んで記載されている点で、何か背景の違いがあるようにも感じますね。
他方、1746(延享3)年「延享三年 明細帳 寅正月 武州多摩郡 関前新田」には、畑で小麦が作られたことが記録されています。
これらのことから推測を次にようにまとめてみます。
武蔵野市付近では、1700年代の中ごろ(江戸中期)には、五日市街道に並走する玉川上水の梶野橋付近にある兼業農家の「飯うんどん」業によって、地元の作物から作られたうどんが食べられていたのではないかと思われます。
また、1800年代中ごろ(幕末)にも吉祥寺にある農家が兼業する「饂飩・蕎麦商」でうどんが食べられていたのではないかと思われます。
そして後の大正・昭和の頃には、モノ日の食事にうどんが登場するようになってゆくのです。
ただし・・・
●史料に書かれている「うどん」の読み方には注意が必要
過去には麺類としてそばを指してうどんと言われることもあるようなのです。
そんなん汁(知る)かよと思うわけですが、平成30年の現在にも焼きとりといって鶏じゃなく豚を使うような文化があって、原材料じゃなくスタイルで呼ばれることには、一定の理解を示したいと思います。
史料の表記をみなおしてみると、1700年代中ごろの史料では「飯うんどん」の表現になっています。
これはではそばとの区別がみられないので、今に言う”うどん”なのかどうか、はっきりしたところはよくわからない、ということになるようです。
なんと!ですよね。
一方、1800年代中ごろの史料では「饂飩・蕎麦商」の表現になっています。
これはそばと区別されてうどんが表現されています。
ところが、もう一歩踏み込んで、その「饂飩」はうどんはどんなものであったか、と考えてみます。
しかし「饂飩・蕎麦商」だけでは見た目や作り方まではわかりません。
今に言う”うどん”なのかどうか、はっきりしたところはよくわからない、ということになるようです。
またまたなんと!ですよね。
ん~、”史料から言えることの限り”というものを学んだ気がします。
●武蔵野のうどんの歴史は1700年代へさかのぼる
ところで、本ブログの武蔵村山市あたりの記事では、1800年代の指田日記を取り上げたことがあります。
今回の武蔵野市付近の確認では、それよりも100年ほど早い記録が見られたことになるようです。
●百姓の立場が時代で変化!?
さて、「飯うんどん農間渡世」の表現から、百姓が農業とともに農業以外の生業をもっていたことを見てきました。
この百姓は元来、農作物を作って年貢を納める役割を義務として課せられた身分です。
そうしたこともあって、1700年代の「梶野新田他新田農間渡世書上」では「~農間渡世仕来罷在候」と「仕来」という言葉を使って書き記し、前からやってたんだという体をとることで、前例主義の封建主義社会の中で農業を逸脱することへの建前を伝えているかのように見えます。
しかし、1800年代の「農間渡世書上帳 武州多摩郡 吉祥寺村」ではそうした修飾はみられなくなっていて、むしろ商いの内容に踏み込んで商品名が書かれています。
場所も変われば書く人も変わり、たまたま書き方が異なっているだけということはあるかもしれませんが、1867年となると大政奉還や坂本龍馬暗殺の年で、戊辰戦争の前夜となる時代背景が影響しているのでしょうか。
うどんから話がそれてしまいましたので今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
さて次のお店へ行ってみましょう~。
謝辞 史料の読み方について、貴重なお時間をいただいて読み方についてのお話をいただきました「武蔵野ふるさと歴史館」の学芸員の皆様方に、感謝いたします。
お出口リンク
資料:
「武蔵野市史 資料編」
- 1867(慶応3)年「農間渡世書上帳 武州多摩郡 吉祥寺村」
「同断 酒・酢・醤油小賣并ニ 溫飩・蕎麦商内仕候、 百姓 由右衛門」
「小金井市誌 III 資料編」
- 1766(明和3)年 「明和三年七月 梶野新田他新田農間渡世書上」
「一同州同郡関野新田 百姓 作右衛門
右之もの義、字梶野橋ゟ弐丁程上ニ而、飯うんどん農間渡世仕来罷在候
同州同郡境新田 年寄 斧右衛門、
右之もの義、字梶の橋 ニ而、前同断渡世仕来罷在候、
同州新座郡上保谷新田 年寄 多左衛門、
右之もの義、字梶野橋ゟ三丁程下ニ而、前同断渡世仕来罷在候」
今回は現代文になった書物をみていますので、機会があれば原文も確認しておきたいところです。
調査文献:
- 武蔵野市史編纂委員会編「武蔵野市史」
- 武蔵野市史編纂委員会編「武蔵野市史 資料編」
- 武蔵野市史編纂委員会編「武蔵野市史 続資料編一」
- 武蔵野市史編纂委員会編「武蔵野市史 続資料編二」河田家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編三」河田家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編四」井口家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編五」井口家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編六」井口家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編七」井口家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編八」井口家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編九」西久保・井野家、関前・秋本家、境・小林家、境・三井家、吉祥寺・安養寺の文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編十」秋本家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編十一」秋本家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編十二」秋本家文書
- 武蔵野市編「武蔵野市史 続資料編十三」秋本家文書